2022年2月22日/最終更新日:2026年2月25日
日本人が猫と暮らしてきた歴史~古墳の足跡から宇多天皇の愛猫日記まで~
日本における伴侶動物(コンパニオン・アニマル)といえば、長らく犬がその筆頭でしたが、2017年からは家族と暮らす猫の数が犬を上回りました(日本ペットフード協会調べ)。猫には登録義務がないため、実際はもっと多い可能性があります。
私自身も幼少時から犬も猫もそばにいて、猫には様々な遊びを教わってきました。
実は、私(柴内)の叔父は日本獣医史学会の会長を永年務めており、ある時「日本の犬の歴史は私が書いているから、猫の歴史を調べてみなさい」と提案(半ば指示ですが…笑)を受け、日本の猫の歴史を調査・執筆してきました。
今回は、皆さんの隣で寝そべっている愛猫の祖先たちが、どのように日本人と出会い、共に暮らしてきたのか、その壮大な歴史のロマンをお話ししようと思います。
日本の土着猫「ヤマネコ」と「イエネコ」の違い
現代において我々と共に暮らすイエネコの祖先は、中東で生息していたリビア山猫であると言われています。すらっとした美しい肢体を持つ猫で、これは遺伝子的にも証明されています。
一方、日本に土着している野生の山猫は2種類。長崎県対馬の「ツシマヤマネコ」と、沖縄県西表島の「イリオモテヤマネコ」です。それぞれ生息頭数の少ない固有種で、現在は手厚く保護されています。

【イリオモテヤマネコ】
ツシマヤマネコは約2万年前のウルム氷期に大陸から渡ってきたと言われています。しかし、これら土着の猫たちと「イエネコ」は異なる系統であり、イエネコが日本に渡来したのは、もっと後の時代のことでした。
海を越えてやってきた猫~古墳に残された「肉球」~
日本のイエネコは、奈良時代頃に中国から輸入された貴重な仏教経典を、ネズミの害から守るために船に乗せられてやってきた、というのが通説でした。
しかし、兵庫県姫路市の見野古墳群(古墳時代:6〜7世紀)で出土された「須恵器(すえき)」と呼ばれる蓋付き食器に、大変可愛い痕跡が発見されています。なんと、器が焼かれる前の乾燥工程で、文字通り猫が踏んだ足跡(肉球の型)がくっきりと残っているのです。
この頃からすでに、人の傍らには猫がいたのかもしれません。なんとも猫らしい、微笑ましいエピソードです。

【見野古墳群から出土した足跡のある須恵器】
貴族の寵愛から「猫の放し飼い令」へ
渡来してきた当時の猫は非常に珍重され、貴族など特権階級の屋敷内で、リードに繋がれて大切に飼われていました。
日本最古の「飼い猫日記」は天皇が書いた?
日本最古の猫との暮らし日記『寛平御記(かんぴょうのごき)』には、漆黒のつやつやとした美しい猫の様子が細やかに描写されています。当時の高級な食べ物であった「乳粥(にゅうがゆ)」を与え、語りかけて可愛がっていた様子が綴られています。
さて、この作者は誰でしょうか?実は、第59代 宇多天皇なのです。遥か昔の天皇家でも、黒猫が愛され、話しかけられていたと思うと、猫と日本人との深い絆を感じますね。
絵巻物に描かれた猫と犬の「格差」
平安時代末期に描かれた『信貴山縁起絵巻(しぎさんえんぎえまき)』を見ると、当時の猫の立ち位置がよく分かります。
猫が座敷の奥の間に大切に描かれているのに対し、屋外の犬たちは追い払われるように描かれており、なんとも対照的です。
【信貴山縁起絵巻に描かれた猫と犬(奈良国立博物館蔵)】
そんな「超高級ペット」だった猫が市中に放たれ、庶民と暮らすようになったのは、江戸幕府が開かれる前年の1602年。徳川家康により発布された「猫の放し飼い令」がきっかけです。
これは、市中の深刻なネズミ被害への対策と、猫があまりに高額で売買されることへの対策だったと言われています。
保護猫という新しい「絆」の形

猫と1000年以上の暮らしの歴史がある日本ですが、「放し飼い令」のなごりなのか、現代でもまだ外で暮らす猫たちがいます。
屋外での生活は、交通事故や感染症のリスクが高く、多くは短命です。
当院(赤坂動物病院)では60年近く前から、家族のいない動物の譲渡のお手伝いをしてきました。最近、ようやく保護犬・保護猫の譲渡活動が広く知られるようになってきたと感じます。
保護動物には様々な事情があり、性格的な難しさを持つ子もいますが、人と動物が共に暮らすきっかけとして「旅は道連れ」のようなご縁を感じて生活を共にすることも、素晴らしい選択だと思います。
私と30年以上のお付き合いがある千代田区の「一般社団法人 ちよだニャンとなる会」さんでは、行政・獣医師・ボランティアが連携し、人と動物双方の福祉向上に取り組まれています。こうした活動の輪が、今後さらに広がっていくことを願っています。